慶長3年(1598年)に会津に転封された上杉景勝は、会津若松城が上杉領120万石の城下町を営むには手狭であったため、周囲が開けており阿賀川の水を利用できる神指原の地に本拠地を移転することを決定した。 慶長5年(1600年)、直江兼続を総奉行に本丸と二の丸からなる「回」字形の二重方形区画の城として築城が開始され、完成すれば会津若松城の二倍の大きさとなる巨城だったが、徳川家康による会津征伐が決定すると築城は中止された。 関ヶ原の戦い後に景勝は米沢へ転封となり、神指城は破却され未完成のまま放棄されることとなった。
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