永禄7年(1564年)、武田信玄が越中国に侵攻するための拠点として、武田氏に従属する江馬時盛に築かせた。その際、信玄の重臣山県昌景が縄張りを行ったという。 以後神岡城は江馬氏の本城である高原諏訪城の支城となったが、天正13年(1585年)に金森長近が飛騨を攻略すると、家臣の山田小十郎を城代とし出城として用いられた。 長近は高山城を築いて飛騨高山藩の藩庁とし、神岡城は元和元年(1615年)に一国一城令で廃城となった。
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