【歴史】 熊城がいつ頃築城されたかは記録に残っていないが、築城のきっかけや縄張りの形態から、軍事的緊張が増した武田勝頼段階、あるいは天文から永禄の信玄段階など諸説あり、定まっていないのが現状となっている。 要害山城に隣接する城であるため、辿った経緯も要害山城とほぼ同じであり、慶長5年(1600年)前後に廃城になったとされる。
【城郭構造】 熊城は、甲府盆地北部に連なる山塊から突き出た相川扇状地頂部に位置する標高775メートル、比高約250メートルの要害山の東に位置する痩せ尾根上に築かれた。 尾根上頂部の主郭を中心として約200メートルの範囲の中に大小12の曲輪が展開している。 上積翠寺集落側にあたる南西の尾根先端部から登ると、小曲輪間を横堀で区画し、南面には多数の連続する畝状竪堀が開削されている。 ちょうぢ竪堀が設けられる熊城中央付近に三方を低土塁で囲まれた比較的大きな曲輪が存在するが、その西側の尾根下に帯曲輪状の虎口空間とみられる小曲輪が設けられていることから、要害山の中腹から伸びる道がこの付近に接続されると考えられる。
熊城の主郭は比較的小規模ではあるが、尾根の最頂部に位置する曲輪と考えられ、二段に区画され表と裏の両側に土塁が築かれている。 主郭の背後は大規模な横堀で遮断され、最も北寄りの堀切には土橋がなく完全に後背を遮断しており、この構造は要害山城とは大きく異なっている。
【観光情報】 要害山城と同じく、JR中央本線の甲府駅から、山梨交通バスに乗って「積翠寺」で降りると熊城の付近に着く。 ここからは二通りのルートがあり、1つは城の西側にある登城口から山登りをするルートで、もう1つは要害山城から尾根伝いに入っていくルート。 ハイキングコースにもなっている要害山城とは異なり、熊城はほぼ整備が行われていないので散策し辛く、堀切や土塁といった防御施設をまともに体感することになる。 登城の際は山登りの準備をしっかりと整えてから臨もう。
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