海ノ口城(うんのくちじょう・うみのくちじょう)は武田晴信(信玄)の初陣となったとされる戦いの舞台として知られる山城である。 千曲川に迫ってそびえる標高1350mの城山の中腹に築かれた山城で、信濃・甲斐の国境に近い国境の守りの城であったと考えられる。 築城時期・築城者はまったくもって不明であるが、『甲陽軍艦』によれば天文期には平賀城主平賀源心(玄信とも)の支城であったとされている。
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天文6年(1536年)、甲斐武田氏当主武田信虎は8000の兵を率い佐久地方に出兵し海ノ口城を取り囲んだ。 信虎の嫡男晴信も初陣としてこの包囲に加わっていた。 しかし、平賀源心自らが出陣し2000の兵が守る海ノ口城を攻めあぐね、城を落とせぬまま冬が訪れてしまい、信虎は攻城を諦め撤退を決意する。 晴信はこの際に殿を願い出ると、撤退したと見せかけてわずか300の兵で海ノ口城を急襲、予期せぬ攻撃に海ノ口城は混乱に陥り落城したというのが『甲陽軍艦』における武田晴信の初陣である。 ただし、海ノ口城の規模などの観点から、この初陣については甲陽軍艦における創作であるという説が強い。 何にせよ、海ノ口城は父信虎を追放し当主となった晴信の信濃進出の重要な拠点となり、度々陣を構えたことが知られている。 いつ廃城となったかは不明である。
城跡と比定される一帯には郭を構成する削平地と、それに付随する堀切の跡を確認できる。
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