沙丘苑台、沙丘平台とも呼ばれる。紀元前15世紀頃、商(殷)が邢の地に都を置いていた時期に初めて築かれた御苑。殷の地に遷都された後も離宮として用いられた。 紀元前11世紀頃、九尾の狐の化身と言われる妃の妲己に魅入られた殷の紂王がこれを大規模に増築し、「酒池肉林」の宴を繰り広げたという。 紀元前295年に趙の武霊王(名目上既に退位)が暗殺騒動に半ば巻き込まれた形で餓死し(沙丘の乱)、紀元前210年に秦の始皇帝が病死し皇位簒奪の謀略(沙丘の変)に繋がったという地でもある。 秦の末期の戦乱で失われたと思われ、以降沙丘は帝王にとって不吉な地として敬遠された。