鎌倉時代に伊達氏初代の常陸入道念西(伊達朝宗)によって築かれとされ、応永7年(1400年)に第九代政宗が鎌倉府に反旗を翻して立て籠もった赤館が桑折西山城とも考えられている。 本格的な築城は伊達稙宗の代で、天文元年(1532年)に梁川城から本拠を移した。稙宗はこの時すでに陸奥国守護となっており、桑折西山城は大手道を進んだ正面に門が立つという領主の象徴性が示されていた。 天文11年(1542年)に始まり、伊達氏を二分した天文の乱の際にはこの城が攻防の舞台となり、天文17年(1548年)に和睦が成立すると桑折西山城は廃城となった。 桑折西山城は奥州街道を抑える要衝であり、戊辰戦争では仙台藩が街道へ向けて砲台を設置したことでも知られる。
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