松坂城(まつさかじょう)は、1588年に蒲生氏郷が伊勢国飯高郡矢川庄の四五百森に築きはじめ、夜に日を継いで年内に完成させた。 氏郷が小田原征伐の後に会津へと移って行ったので、代わって服部一忠が城主となったが、豊臣秀次事件に連座して自害した。 古田重勝が新しく城主となり、1619年からは徳川頼宣の領地となって松坂藩は廃藩され、紀州藩の属領となった。 その後松坂城は当地を統括する城として城代が置かれ、以後、紀州藩領として明治維新を迎えた。 蒲生氏郷が穴太衆を使ってくみ上げた石垣は、松阪のシンボル的存在で、四季を通じて市民に親しまれている。