安濃津から伊勢神宮へ向かう古参宮街道と伊勢湾の海上交通を押さえる水陸の要衝で、織田氏による南伊勢支配の拠点となった城。 伊勢湾に流れ込む三渡川の河口付近に位置し、旧一志郡と飯高郡の境界にあたるこの地は「細頸」と呼ばれ、中世当時は城の近くまで海が入り込み浜堤や潟湖を利用した港湾があったと考えられる。 一志郡・飯高郡は伊勢国司・北畠氏の領国内にあり、『伊勢国司紀略』などの近世になって書かれた軍記物語には、戦国時代末に北畠具教が築いたとあるが定かではない。 織田信長の次男で北畠氏の養嗣子となった北畠具豊(織田信雄)は当初田丸城を居城としていたが、天正8年(1580年)に松ヶ島城に移ったとされる。
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信雄は本能寺の変後に伊勢長島城に移り、松ヶ島城は家臣の津川義冬や滝川雄利に預けられた。 天正12年(1584年)には信雄・徳川家康と羽柴秀吉の間で小牧・長久手の戦いが行われ、戦後に松ヶ島城は蒲生氏郷が城主となった。 氏郷は天正16年(1588年)に松坂城を築いて居城を移し、その際に城下町も松坂城へと移され、古参宮街道も松坂城下を通るように経路が変更され、松ヶ島城は廃城となった。 松坂城の築城には松ヶ島城の資材を転用したとされ、松坂城で「天正七年」の銘がある瓦が見つかったことから、松ヶ島城の築城は天正7年(1579年)の時点で始まっていたとも考えられる。 松ヶ島城からは安土城考古博物館と同様の瓦も出土しており、伊勢における初期の織豊系城郭として位置づけられている。
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