毛利元就の三男で、兄の吉川元春と「毛利両川」として毛利氏を支えた小早川隆景が、三原城に移るまでの居城とした城。 小早川隆景は竹原小早川氏と沼田小早川氏を統一し、当初は小早川宗家の居城だった安芸高山城に入ったが、天文21年(1552年)に新高山城を築いて新たな居城とした。 新高山城は安芸高山城とは沼田川を挟んだ対岸に築かれ、安芸高山城が比較的なだらかな古高山に築かれたのに対し、新高山城が築かれた新高山は急峻で、山頂の内郭を山腹の外郭が取り囲み全山を要塞としていた。
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隆景は弘治元年(1555年)の厳島の戦いで小早川水軍を率いて毛利氏を勝利に導き、その後も毛利水軍の中核を担った小早川水軍の拠点とするため、永禄10年(1567年)に三原城を築いた。 三原城は天正10(1582年)頃に本格的に改修されて隆景の居城となり、文禄4年(1595年)に隠居すると再び三原城を居城として大規模な改修を行い、翌年に新高山城は廃城となった。 三原城の築城や改修の際、新高山城の石垣が三原城に移築されたといい、現在新高山城に残る石垣はごく一部となっている。
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