大隅国。 かつてこのように呼ばれていた、鹿児島県肝属郡肝付町にこの城は築かれていた。 肝付町は、内之浦宇宙空間観測所がある事でも有名である。 肝付城とも呼ばれたこの山城は、現在国の史跡に指定されている。 城の南には本城川、北には栗山川、西には高山川、東には台地の急崖があり、まさに天然の要害と呼ぶにふさわしい立地であった。 この城の始まりは、平安時代末期、日本最大の荘園であった島津荘の弁財使に、平兼貞の子孫が任じられこの地に定住したことだとされている。 そして時期は定かではないが、南北朝時代と戦国時代の争乱に備えて壮大な城郭が調えられたのだと考えられている。
続きをクリックで表示
隣接する島津氏と勢力争いを繰り広げた、大隅国戦国大名・肝付氏。 兼貞の子、兼俊が肝付氏と名乗る事から始まり、高山城を拠点として大隅国の最大勢力となるまで栄えることとなった。 16代当主・肝付兼続の時代、薩摩国最大領主・島津氏と日向国最大領主・伊東氏との関係は良好であった。 だが、やがて島津氏との間で対立が起こり、高山城は落城してしまう。 天正元年(1573年)のことである。 その後、肝付氏が阿多に移封されたことで高山城は廃城となった。 天正8年(1580年)のことである。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示