江戸幕府が幕末に保有したコルベット。1860年に遣米使節団の別船として太平洋を横断。勝海舟や福沢諭吉、中浜万次郎が乗船していた。
続きをクリックで表示 日本が2番目に保有した西洋式軍艦で、初めて推進機にスクリューを備えた艦である。同型艦に朝陽丸・電流丸がある。 1855年にオランダ・キンデルダイクのホップ・スミット造船所にて起工し、1857年9月5日就役。就役後は主に長崎海軍伝習所の練習艦として運用された。 1860年に日米修好通商条約の批准書交換のための遣米使節団がアメリカへ派遣される際の別船としてアメリカに派遣され、太平洋を横断。往路は荒天に見舞われ艦長の勝海舟が船酔いで動けなくなるなど、日本人はほとんど役に立たなかったという。 1861年には小笠原諸島に派遣される。その後1866年に機関が老朽化に伴い撤去され帆船となる。 翌年の戊辰戦争では旧幕府軍側として参加するも、既に旧式化していたため主に輸送船として運用され、9月11日に新政府軍によって拿捕される。 明治に入ってからは開拓使の輸送船となるも、1871年11月2日、北海道へ移住する旧仙台藩片倉邦憲旧家臣400名余を乗せて函館から小樽へ向かう途中、泉沢沖で座礁し、翌日沈没した。
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