井伊弥直の頃に井伊家から分家した井平直時が築いたとされ、天文13年(1544年)に井伊谷城主・井伊直盛に招かれた連歌師の宗牧は「片岡かけたる古城あり、之も井伊家一家の人」と詠じている。 元亀3年(1572年)には武田信玄の遠江侵攻で別動隊を率いた山県昌景が攻め寄せ、三方ヶ原の戦いの前哨戦とされる仏坂の戦いが起こり、井伊谷三人衆らが迎え撃つも敗れた。 この戦いにより井平城主・井平直成は討ち死にし、井平城も落城及び廃城となった。 このとき井平氏は一時滅亡するも、井伊直平の子・直種により再興されたが、その嫡男・弥三朗が豊臣秀吉の小田原攻めで討死すると再び滅亡した。
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