麓から頂上まで175メートルあるドロマイト岩の頂に位置し、1200年に天然の要害を利用した砦としてはじめて文書記録に登場する。 本腰を入れて城郭かが進められるのは15世紀に入ってからであり、オスマン・トルコ軍の進行に備えて難攻不落の城塞に改築された。その後も何度か増築は繰り返されている。 主郭に到達するには620メートルの長い長い坂道を登っていかなければならず、それ以外は絶壁に近い崖と城壁が敵の侵入を妨げる。坂道を素直に登って行ってもそう簡単には内郭に辿り着けない仕組みになっている。 いくつもある城門にはそれぞれ異なる仕掛けや性質があり、崖から真っ逆さまに突き落とす仕掛けの門、上空から矢・鉄砲を浴びせる狭間を多く設けた門、そのほか様々だ。 1570年から1583年まで常に増やし続け、その数はなんと14門にも上った。この城門のお蔭か実際にホッホオスターヴィッツ城は一度も征服されたことがない。
14の城門の一覧(完成年順)
ラントシャフト門(1570年) マウアー門、クルマー門(1575年) ライザー門、ヴァーフェン門(1576年) ヴェヒター門、エンゲルス門、レーヴェン門(1577年) マン門、ブルッケン門、キルヘン門(1578年) フェーンリヒ門、ケーヴェンフューラー門(1580年) ナウ門(1583年)
コメントはありません。 Comments/ホッホオースタービッツ城?
コメントはありません。 Comments/ホッホオースタービッツ城?