モルドヴァ公国やポーランド・リトアニア共和国、オスマン帝国、ロシア帝国などの国境地帯に位置した境界の城。 13世紀に築かれた小規模な城が始まりで、1457~1480年にかけてモルドヴァ公シュテファン3世(シュテファン大公)が大改修を行い、モルドヴァ公国の北方を守る重要拠点とした。 ホチム城は現在のモルドヴァとウクライナの国境線を形成するドニエストル川沿いに築かれ、地形に沿って城壁が巡らされ、また大規模な堀と川によって周囲を囲まれていた。
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シュテファン大公はソロカ要塞やホチム城を拠点にオスマン帝国やポーランドと戦ったが、大公の死後モルドヴァ公国はオスマン帝国に従属し、ホチム城はポーランドとオスマン帝国との境界の城となった。 16世紀半ばにはポーランドによって支配され、城塔や城門、城壁を修築し、防備を強化していった。 1621年にはオスマン帝国がホチム城を攻撃し、これをポーランド・リトアニア共和国とウクライナ・コサックが迎え撃ち、オスマン帝国はホチム城を攻略することができず撃退された。 1673年にも再びオスマン帝国とポーランド・リトアニア共和国との間で戦いが起こり、ポーランドのヤン・ソビエツキはオスマン帝国を破ったことで国民的英雄となり、ポーランド王に即位している。 オスマン帝国はその後反撃し1713年の大北方戦争の際にホチム城を奪い、以後ロシア帝国との境界に位置する城となった。 オスマン帝国とロシア帝国はホチム城の争奪を繰り返したが、1806年に始まった露土戦争での攻防戦により、最終的にロシア帝国が支配することとなり、周辺地域はベッサラビアとしてロシア帝国に併合された。
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