上陸作戦が行われたノルマンディ海岸から内陸、南に約30kmの丘陵地、ノルマンディ公国の首都が置かれたファレーズの城。 ノルマン朝イングランドを開いたウィリアム征服王が産まれた城でもある。 ファレーズという名は「崖」を意味し、その名の通りアント川沿いの崖に囲まれた強固な岩盤の上に主郭と外郭を持つ囲郭式の城が建つ。 城壁と城壁塔で防御された城の街側に主城門が配され、逆側に搦め手門があった。また川に挟まれた町自体も城壁に囲まれた城塞都市である。 10世紀後半にリシャール1世によって最初の郭が建てられたが、城地のほとんどは息子リシャール2世の時代11世紀初めの建設による。
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2世が死に息子のリシャール3世が公位につくと、その弟ロベールがこれに反旗を翻して城に籠城する事件が起きた。 リシャールに城を攻められたロベールは降伏し和解するが、リシャールはわずか1年で没する。ロベールによる毒殺が疑われたという。 公位についたロベールの庶子として1027年にこの城で生まれたのがギョーム、後のノルマン朝イングランド初代王征服王ウィリアム1世である。 ノルマンディ公を継いだときギョームはまだ8歳であり、その後公国を掌握するのに12年を要した。 ギョームは1066年にイングランドの王位継承権を主張して侵攻を開始、対立者を破り抑えてその年の内にイングランド王として即位する。 ギョームの死後ノルマンディ公国は長男のロベール2世が、イングランドは紆余曲折の末ウィリアム2世が継いだが、最終的に末弟アンリ(ヘンリー1世)が二つをまとめて継いだ(正確にいえば奪い取った)
このアンリの時代に現在残っている矩形の主城塔が建設された。それ以前の城の主棟は木製か、石造だとしても一部だけと考えられている。 現在の主城塔は三つの棟からなっている。アンリが建築した城塔の横の小矩形の棟は孫のアンリ2世*1によって建てられた。 最も外観的に目立つ円柱形の塔は13世紀にノルマンディ公国を制圧したフランス王フィリップ2世によって追加され、通称タルボット・タワーと呼ばれる。
17世紀に廃城となり、19世紀以降は史跡として保存運動が起き修復・保存されてきた。 第二次世界大戦で一帯はノルマンディ上陸作戦に続くファレーズ・ポケットと呼ばれる激戦地となり、城壁が連合軍機の爆撃で一部損壊した。 1987年から1997年にかけて修復工事が行われた。また2015年からも再度工事が行われた。 現在は現地で貸し出されるタブレット端末を使って、ARで城内の修復再現画像を見ることができるようになっている。
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