中部ウェールズ、ワイ川河畔のビルス・ウェルズの城。アイアンリングの一員に数えられる。 エドワード1世のウェールズ侵攻に際して、それ以前からあった城砦の敷地を再利用して1277年頃から築城が開始された。 旧ビルス城はモットアンドベイリー様式の城で、その時代からイングランドとウェールズの間で幾度も攻防戦が起きていた。 エドワードによって石造の城が築城されたが、以前の城からどれほどの資材等が再利用されたかなどはよくわかっていない。
しかし1282年、ビルス近郊のキルメリにて最後のウェールズ大公スリウェリン・アプ・グリフィズが敗死し、戦いが一段落したため築城工事は中断された。 計画通りには完成しなかったがいちおう城としては使えるくらいには出来ていたらしく、その後も何度ものウェールズ反乱軍との戦いに使われた記録は残っている。 15世紀初め頃までは城として利用されたが放棄され石材は全て転用された。現在では住宅地の中に土塁と堀だけが残る。 記録によればアイアンリングの他の城同様集中様式を採用した城であったというが、現在それを見て取ることは難しい。