ニジニ・ノヴゴロド城塞はヴォルガ川とオカ川の合流する戦略上非常に重要な地点にある城塞都市である。山の上に築かれているため、防衛戦においては合流地を襲撃できる位置にあるため守りは堅固であった。 北部の都市にノヴゴロドが存在するため「下」を表す「ニジニ」の冠を付けて区別した。一時は街の出身である文豪マクシム・ゴーリキーに因み「ゴーリキー」と名を改めていたが、連邦崩壊後はニジニ・ノヴゴロドへと都市名を戻される。 1221年にユーリー2世(ユーリー・フセヴォロドヴィチ)が要塞を創建して以来、街は発展し城塞都市を形成していったとされている。その後イワン3世の下、常設軍の防衛都市として機能を果たした。 ニジニ・ノヴゴロド最古の建造物がニジニ・ノヴゴロドのクレムリンであり、街を強化する目的で1500年にトヴェルスカヤ市の上部の城塔建設から始まる。 クレムリン建造に関する主な指揮はモスクワから送られてきたイタリアの建築家ピエトロ・フランチェスコがおこない、1508年に着工ののち1515年に完成した。
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また、街には2キロメートルの城壁とその壁に連結する13の塔、常備軍の施設も存在し、城を「сухим рвом(スヒム・ルボン)」と呼ばれる空堀で囲ってある。深さは2.5~4メートル程度で、幅が25~30メートルにも及ぶ。 ただ、地下水を湛え水堀として機能していたことも示唆されてはいるが、断定できる調査はいまのところ行われている気配がない。城塔の中でもドミトロフタワーは積極的に補強されていった。
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