ドゥフツォフ城 のバックアップ(No.1)

現実の城情報 Edit

プラハから北西約70km、褐炭大地上にありチェコでは有数のバロック様式の城である。
始まりは12世紀中頃、ボヘミアの大貴族フラビシッチ家のボレシュ2世が、ボヘミア王ヴァーツラフ1世と次男オタカル2世の叛乱の際築城された。
ボレシュ2世はヴァーツラフ1世に従い戦功を挙げ最高侍従長に任命されたが、ヴァーツラフ1世の長男が早世したため弟のオタカル2世が即位すると、最高侍従長を解任されてしまう。
それでも王家に忠誠を誓いオタカル2世を奉じていたが、次第に関係が悪化し最後は処刑されてしまい城も没収された。
13世紀リーセンブルク家が王家から購入した。後に褐炭採掘が好調で北ボヘミアでは有数の資産家となったが、15世紀になると低迷しマイセン辺境伯(のちザクセン選帝侯)へ売られた。
ただ、王家の許可を取らなかったので抗争が起き一旦は没収されたが、後に返却されている。


所在地チェコ ウースチー州 テプリツェ郡 ドゥフツォフ
現存状態現存
城郭構造連郭式平城

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*1 元マイセン辺境伯
*2 高祖父が一緒
*3 のち神聖ローマ帝国皇帝


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