ブリテン島で最も西のコーンウォール半島北部、ケルト海に面した崖の上に建つ城跡。古くからブリテン最果ての地とされたコーンウォールらしい風景の中に建つ。 4世紀頃にはローマ人の居住地があったと思われるがその後ローマ人はブリテン島を放棄。そのあとにケルト人(ブリトン人)がこの地に住んだ。 この城はそのブリトン人の伝説的な王アーサー・ペンドラゴン、かのアーサー王ゆかりの城である。
続きをクリックで表示
というのは真っ赤なフェイク。 今に残るアーサー王伝説は12世紀の著述家ジェフリー・オブ・モンマスの著した『ブリタニア列王伝』を基にしている。有名な物語なので詳述は省くが、伝説は『アーサー王は西へ広がる海にアヴァロンへ向かい船出した』と締めくくられる。 その場面にふさわしいこの最果ての土地にやってきたコーンウォール伯リチャードが、1233年に作っちゃったのがこの城。 つまりこの城自体はアーサー王本人とは何の関係もなく、ただそれっぽいところにそれっぽい建物を建てただけの城であった。当然軍事的な価値はない。 ティンタジェル城の名は『列王伝』の中に出てくる、アーサー王の両親が愛し合ってアーサーを妊娠したとされる城の名前である。
とは言うものの城自体は本当に古い時代のものに見えるように、わざわざもっと古い様式で建てられている。 手が込んでいるので単なる趣味だけではなく、アーサー王伝説に愛着を持つ地元民との融和を図ろうとしたのだと解説されることもある。 ……が、伯爵が死んだ後はこの城のことを気にかける人は誰もいなくなり、14世紀には早くもただの廃城(のようなもの)と化した。
19世紀ヴィクトリア時代になるとアーサー王伝説のブームが起き、今風に言えばいわゆる聖地巡礼に出かける人が増えた。 (600年近く経って本当にそれっぽい廃墟になっていたので)この城は大人気観光地になり、近くの村の名前までティンタジェルと変えてしまったほど。 今もティンタジェル村はアーサリアン(アーサー王伝説マニア)の聖地と化している。年間20万人の人出があるそうな。 あまりの人気に頭の固い学者が「そこアーサー王関係ないだろ!」と真面目に突っ込んだりもした(実話)。
ただし、アーサー王は関係ないにしても、ローマ人・ブリトン人時代の遺跡は存在していて、実際にブリトン人の有力者が住んでいた。 新しいところでは2016年、5~6世紀頃の遺跡から、船で運んだと考えられる地中海沿岸産のワインや北アフリカ産の穀物が見つかっている。
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を表示
最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を表示