ポルトガルかつユーラシア大陸最南西端にある岬に建つ城である。海崖高約35m。 船酔いが酷く船に乗れなかったエンリケ航海王子が、海への思いを断ちがたく1457年頃から定住し、 キリスト・ユダヤ・イスラム各教徒の多様な人々を集め、造船・天文・地図・航海術などを教えあえる学校を作り、大いに発展させたと云われている。 バスコ・ダ・ガマやコロンブスも、この学校で培われた技術を学んだという。だが、1460年彼が死去すると学びの場はリスボンへ移されてしまった。 学校としての設備は不明な点が多いが、城壁や船着き場があったとされている。もっとも城として活躍するのはこの後のことであるが。
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1573年セバスティアン1世ポルトガル王がモロッコへの十字軍を夢見て、城壁に砲座を作り大砲で十字砲火できるよう要塞へと改築した。 後を継いだスペイン国王フェリペ2世*1は、大砲の砲座があるキープ*2や地下通路も作った。 だが、1587年イングランドとの英西戦争が始まると、スペイン各地の植民地で略奪を行いドラコ(悪魔)と恐れられていたフランシス・ドレーク私掠船*3長ら800人に襲撃され占領。捕虜も物資も掻っ攫って行った。 復旧が行われるも、1755年のリスボン地震*4では30m以上の津波と揺れ*5で多くの城壁や建物が失われた。 1794年再度修築が行われ、この時残っていた中世の城壁や建物が取り払われ、新たに稜堡が作られ近代的な城へと変化した。現在残っている城門・城壁・建物等はこの時代の物である。 ナポレオン戦争から続く1808年の半島戦争では、海岸線の重要な拠点として大いに活躍した。 しかし、時代を経るごとに軍事的に利用される事が減っていき、1910年にポルトガルの国指定遺跡に指定されると戦火から切り離された。 現在も研究・調査・整備が続けられ、教会や建物が修復・復元されている。
エンリケ航海王子の学校が本当にあったかは、現在では伝説とされ疑問視されてはいるが建物跡の1つに「学校跡」と表示されている。
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