カラコルムはモンゴル帝国の最初の首都である。 このカラコルムはもともとチンギス・ハーンの西征のための兵站基地であった。 後に二代目皇帝のオゴデイによって、1234年にモンゴル帝国の首都として城壁に囲まれたカラコルムの街と、宮殿の萬安宮が建造された。 カラコルムの建造以降、オゴデイは殆どこの周辺に留まるようになり、遠征は配下の軍に、自身はカラコルムを中心とした行政整備を行っていった。 また、建造直後のカラコルムで開かれた会議(クリルタイ)では、南宋とアジア北西部からヨーロッパへの二大遠征軍の派遣が決定され、モンゴル帝国は世界帝国への道を邁進していった。 その首都たるカラコルムも契丹、中国、チベット、ウイグル、ペルシア、インド、フランス、ドイツ、ハンガリー、ロシアなど様々な出身の人々が集まり、同時に様々な宗教や文化が同居する世界都市として発展していた。 後に五代目皇帝のクビライによって首都が大都に移された後もモンゴル高原の拠点として機能していたが、元および北元とともに衰退し、16世紀にはチベット仏教の寺院エルデネ・ゾー建設の資材調達の為に荒廃しきった。
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エルデネ・ゾーの建設以降カラコルムは歴史の舞台から姿を消していた。 しかし、カラコルムがエルデネ・ゾーの近くにあったという伝説は後世に残り、結果としてそれを元に19世紀末にその遺跡が発見された。 以降の発掘調査により、舗装道路やレンガ造りの建物の跡、各地の陶磁器や効果や宝石などが見つかった。
また、伝えられる話ではフランス人のギョーム・ブーシャーという金細工師に皇帝が依頼し、カラコルムの宮殿の一部として巨大な銀製の木を植えていたという。 銀製の木の頂上にはラッパを持った天使の像が置かれ、皇帝が客人への飲み物を差し出させるときには像がラッパを吹きならす仕組みになっていたという。
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