「カノッサの屈辱」で知られるアペニン山脈北麓にある城。10世紀半ば、アダルベルト・アットーが建設した。
950年、イタリア王ロターリオ2世が亡くなると、ロターリオ2世の妃・アデライーデはイヴレーア辺境伯ベレンガーリオに息子のアダルベルト2世との結婚を強制され、カノッサ城のアダルベルト・アットーの許に逃れた。 その後、ベレンガーリオにより包囲されたが、東フランク王オットー1世により救出され、こののちオットーはアデライーデを後妻とし、ベレンガーリオとアダルベルトの父子を破り、962年に皇帝として戴冠した。
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カノッサ家はアダルベルト・アットーに始まるが、1052年に孫のボニファーチオが暗殺されると、カノッサ城はその娘であるマティルデに継承された。 神聖ローマ皇帝ハインリヒ4世と教皇グレゴリウス7世との間で叙任権闘争が行なわれると、ザクセン公はじめドイツの諸侯は教皇を支持し、マティルデも教皇をカノッサ城に招いた。 1077年1月25日、手詰まりとなった皇帝は教皇による破門の解除を願い、3日間に及んで裸足のまま断食と祈りを続けて赦されたが、教皇が皇帝の権威を上回った事件として今なお語り継がれている。
その後、カノッサ城は多くの戦闘の舞台となりやがて荒廃したが、現在では年間3万人以上の観光客を集める観光地となっている。
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