砥石城 のバックアップの現在との差分(No.3)
現実の城情報砥石城(といしじょう)は現在の長野県上田市にあった城である。形式は連郭式山城であり、別名「戸石城」とも言う。『長野県町村誌』によると、城のある山から砥石となる石が産出されることが「砥石」の地名の由来という。 続きをクリックで表示 砥石城が『高白斎記』などの文献史料に登場するのは天文19年(1550年)頃で、当時信濃平定を目指していた武田晴信(後の信玄)は同年8月に砥石城に7000の兵を差し向けるが堅牢な砥石城を攻略できず、10月に包囲を解いて撤退したところに追撃を受け多数の戦死者を出すという一方的な大敗北を喫した。これを「砥石崩れ」と言う。 その後の砥石城の詳細は不明だが、天正10年(1582年)に真田昌幸が家臣の湯本三郎左衛門に属する上野の地侍に宛てた安堵状から、砥石城が「伊勢山」と呼ばれ真田氏の拠点となったことがうかがえる。 天正11年(1583年)に昌幸が上田城を居城としてからはその支城となり、天正13年(1585年)の第一次上田合戦の際には信幸が入って徳川勢を攻撃した。 天正11年(1583年)に昌幸が上田城を居城としてからはその支城となり、天正13年(1585年)の第一次上田合戦の際には信幸が入って徳川勢を攻撃した。 慶長5年(1600年)の第二次上田合戦では信幸が徳川方としてこの城に入っている。 その後上田は信幸が領し砥石城は存続したとされるが、元和8年(1622年)に松代城へ移る際に廃城になったと考えられる。
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