大西城 のバックアップの現在との差分(No.3)
現実の城情報大西城(だいさいじょう)は雲南市の旧加茂町の東にある標高195メートルの高麻山に築かれた山城で、尼子十旗の一つである。 大西城(だいさいじょう)は雲南市の旧加茂町の東にある標高195メートルの高麻山に築かれた山城で、尼子十旗の一つである。 山頂の主郭を中心に尾根筋を堀で遮断する等の防御線がしかれている。また、枡形の構造等から毛利氏時代に改修が行われたことが示唆されており、尼子氏と毛利氏の築城術の違いが現れている。 築城時期は比較的新しく、天文年間に鞍掛久光によって築城されたとされているが、それに近い天文12年(1543年)には大西高由が城主となっており、初期の来歴についてはあまり判然としていないのが実情である。 城主となった大西氏は、近隣の立原氏と同族であり宇多源氏佐々木氏流と言われていたが、現在では清和源氏満快流飯沼氏の流れであることが主説となりつつある。 続きをクリックで表示 大西高由は大内氏や毛利氏の出雲侵攻に対し、いずれも尼子方として月山富田城に入り防衛の一翼を担うなど、尼子氏の有力家臣として活躍した。 大西高由は尼子義久が毛利氏に降ると、彼に付き従って安芸へと移ったが、訳あって義久によって手討ちにされたという。 大西城跡は登山道などが整備されているが、郭をなした平削地が見られる他は特にめぼしい遺構の確認は難しいようである。
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