牛尾城 のバックアップの現在との差分(No.2)
現実の城情報牛尾城は出雲中央部を南北に走る山塊群の西側にある標高302メートルの三笠山に築かれた山城で、尼子十旗の一つである。築かれた山の名から三笠城とも呼ばれる。 牛尾城は出雲中央部を南北に走る山塊群の西側にある標高302メートルの三笠山に築かれた山城で、尼子十旗の一つである。築かれた山の名から三笠城とも呼ばれる。 急峻や山の斜面を利用し、尾根筋には郭と土塁で防御を固めている。また、北東に伸びる尾根筋は八雲山を経て熊野城のある要害山に繋がっており、両城は連携していたという説がある。 牛尾城は諏訪神党中澤氏の一族で鎌倉期に当地を所領とし、出雲中部の有力国人となった牛尾氏によって応仁の乱後に築かれたとされる。 続きをクリックで表示 尼子氏が勢力を伸ばすと当初は牛尾氏は京極氏とともにこれに対抗するも、最終的に尼子氏の家臣となり、牛尾幸清は尼子経久・晴久・義久の三代にわたって仕え重臣として活躍した。 月山富田城に入っていた幸清・久信は兵糧攻めに際し毛利氏に降伏し、そのまま毛利家臣として仕えた。 城跡は山中となっているが、門石や石垣、郭を構成する平地群などが今でも残されている。
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