バビロン のバックアップの現在との差分(No.1)
現実の城情報ハンムラビ王で知られるバビロン第一王朝が都として以来、古代メソポタミアの中心都市として栄えた古都。 バビロン第一王朝の滅亡後はカッシートやアッシリアの支配を受けるが引き続き繁栄し、特にオリエントに大勢力を築いたアッシリア最盛期においてもメソポタミアの中心都市としての地位を保っていたものの、ニネヴェをアッシリアの新たな都としたセンナケリブによって前689年に破壊された。 バビロン第一王朝の滅亡後はカッシートやアッシリアの支配を受けるが引き続き繁栄し、特にオリエントに大勢力を築いたアッシリア最盛期においてもメソポタミアの中心都市としての地位を保っていたものの、ニネヴェをアッシリアの新たな都としたセンナケリブによって前689年に破壊された。 その後前625年にバビロンでナボポラッサルがアッシリアから独立して新バビロニアを建国し、前612年に新バビロニアとメディアの連合軍がニネヴェを攻略して再びバビロンがメソポタミアの中心都市となる。 現在見られるバビロンの都城跡はこの時代に築かれたもので、特にナボポラッサルの子ネブカドネザル2世は新バビロニアの最盛期を築き、バビロンでの新都建設にも尽力した。 2019年に「バビロン」として世界文化遺産に登録された。 続きをクリックで表示 バビロンはバグダードの南方約90キロメートル、ユーフラテス川東岸を中心に構成され、ネブカドネザル2世が築いた外城壁がユーフラテス川を底辺とする二等辺三角形で築かれ、内城壁の内部に都市の中心が置かれた。 イシュタル門から城壁内に入ると行列道路と呼ばれる大通りがあり、中心部の聖城に至る。聖城にはジッグラト(聖塔)とマルドゥク神殿があり、バビロンのヘブライ語がバベルであることから、このバビロンのジッグラトが『旧約聖書』に登場する「バベルの塔」とする説もある。 イシュタル門から城壁内に入ると行列道路と呼ばれる大通りがあり、中心部の聖城に至る。聖城にはジッグラト(聖塔)とマルドゥク神殿があり、バビロンのヘブライ語がバベルであることから、このバビロンのジッグラトが『旧約聖書』に登場する「バベルの塔」とする説もある。 王宮はイシュタル門のすぐ近くの内城壁内に置かれ、その北東隅にはヴォールトの基部が並んでいる。これはネブカドネザル2世が妻として迎えたメディアの王女アルテミスが、故郷を想い悲しむのを慰めるために築いた屋上庭園の基部とされる。そしてこの屋上庭園が、「世界の七不思議」の一つに数えられる「バビロンの空中庭園」とする説もある。 王宮の西側には主城砦があり、当時はその直下をユーフラテス川が流れて天然の水堀となっており、城壁や城門だけでなく本格的な城砦が設けられたことは特筆すべき事例となっている。 バビロン第一王朝がアケメネス朝に滅ぼされてからは、バビロンはメソポタミアの一地方都市となって衰退し廃墟となったが、19世紀~20世紀にかけてイギリスやドイツ、フランスなどによって発掘され都城の全容が明らかとなってきている。
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