ペレシュ城 のバックアップソース(No.3)
*現実の城情報 [#information]
[[第三回名城番付]]にて、シュテファンにより言及された城の一つ。
[[ブラン城]]、[[城塞都市ルシュノフ]]、[[フニャド城>コルヴィネシティロル城]]、[[ペリショール城]]と共に吸血鬼の城とされている。
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[[ブラン城]]から直線距離で南東約20km、カルパチア山脈沿いの標高約900mのところにある城である。
始まりは1873年、後の初代ルーマニア国王カロル1世の夏の離宮としてドイツ・ルネッサンス様式で開始された。
何故ドイツ様式だったかというと、カロル1世の実家が[[ホーエンツォレルン家>ホーエンツォレルン城]]だったからである。
同じ様式の[[ノイシュヴァンシュタイン城]]に似たところがいくつかあり、影響を受けた節がある。

//編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです)
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1875年城本体の着工が始まるも、2年後オスマン帝国からの独立戦争のためストップしたが、
翌年戦争が終結しルーマニア国土は戦地にならなかったので、公共事業推進目的で急速に造成が進められた。
1883年完成を祝いカロル1世のルーマニア国王就任式が行われ、1914年この城で崩御する直前まで、延べ39年に亘って普請が続けられた。
その後もルーマニア国王の夏の離宮として使われ続け、1918年第一次世界大戦後トランシルヴァニアがルーマニアへ併合されると、
ルーマニア国の中心に位置するようになり、ますます重要性が増していった。
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だが第二次世界大戦では独ソ条約で領土を奪われ、ドイツ軍に進駐され枢軸国側に参加したせいで、
敗戦後ソ連に占領、共産化が進められルーマニア社会主義共和国となり、国王が持っていた城も没収されてしまう。
博物館として一旦は開放されるも、1975年からルーマニア革命によって民主化する1990年まで閉鎖されてしまった。
翌年整備が行われ、一般公開されるようになり、2007年元国王であるミハイ1世((カロル1世の兄の孫))に返還されたが、
引き続き国の管理のもとで博物館として使用されている。
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世界初の自家発電機を持つ城で、照明はもちろんエレベーター・セントラルヒーティングまで兼ね備えている。

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|所在地|ルーマニア プラホヴァ県 シナイア|
|現存状態|現存|
|城郭構造|ルネサンス式山城|

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*コメント [#comment]
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