鹿児島城 のバックアップソース(No.20)
#include(城娘項目,notitle); #include(城娘ステータス注釈,notitle) |CENTER:300|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|BGCOLOR(#FCC):80|BGCOLOR(#FCC):90|c |>|>|>|>|BGCOLOR(#f99):CENTER:''鹿児島城(かごしまじょう)''| |&ref(鹿児島城/鹿児島城S.png,nolink);|>|BGCOLOR(#111):CENTER:&ref(画像で一覧RE/鹿児島城.png,nolink);|図鑑No.|093| |~|>|~|レア|2| |~|>|~|城属性|&ref(画像置場/平山水.png,nolink);| |~|>|~|令制国|薩摩| |~|>|~|武器属性|[[鉄砲]]| |~|>|~|最大レベル|95| |~|実装日|>|>|旧城プロ| |~|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''合戦''| |~|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''初期配置/&color(Red){最大値};''|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''巨大化3回/&color(Red){最大値};''| |~|消費気|12|消費気((基本消費気を含みます))|84| |~|耐久|836/&color(Red){1500};|耐久|1237/&color(Red){2220};| |~|攻撃|92/&color(Red){321};|攻撃|136/&color(Red){475};| |~|防御|38/&color(Red){136};|防御|57/&color(Red){205};| |~|範囲|340/&color(Red){340};|範囲|482/&color(Red){482};| |~|回復|10/&color(Red){29};|回復|13/&color(Red){37};| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''特技''| |BGCOLOR(#FCC):[無印] / 攻撃強化【範囲】・壱|>|>|>|範囲内の城娘の攻撃が15%上昇| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};] / 攻撃強化【範囲】・弐|>|>|>|範囲内の城娘の攻撃が17%上昇| |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''[[計略]]''| |BGCOLOR(#FCC):[無印]|>|>|>|なし| |BGCOLOR(#FCC):[&color(Red){改壱};]|>|>|>|~| // |>|>|>|>|BGCOLOR(#F99):CENTER:''図鑑文章''| |>|>|>|>|わたくしが生まれたのは&br;関ヶ原の合戦の後でしたわ~。&br;四神相応という風水では、&br;至上とされる土地に造られましたのよ。&br;&br;でも皆さんからは&br;防御の薄い御城だって言われ、&br;最終的には誰も住んでくれなくなって、&br;わたくし少し傷つきましたわ……くすん。| |BGCOLOR(#F99):CENTER:120|400|c |''[[築城]]''|01:10:00| #style(class=submenuheader){{ -''[[城娘改築]]'' }} #style(class=submenu){{ }} #table_edit2(td_edit=edit,tr_edit=edit,table_mod=close,calc=1){{ |>|SIZE(13):|>|>|>|>|SIZE(10):|>|>|>|>|>|>|>|>|>|SIZE(13):|c | | |~レア|~[[&color(White){巨大&br;化数};>巨大化・属性#l379325e]]|>|>|~&size(12){[[&color(White){消費気};>巨大化・属性#i31da6d1]]};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h |~|~|~|~|~[[&color(White){基本};>巨大化・属性#ubbc4e49]]|~[[&color(White){強化};>巨大化・属性#u2b9a394]]|~&color(White){合計};|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|h |>|BGCOLOR(#ccc):CENTER:50|>|BGCOLOR(#ddd):CENTER:30|>|>|CENTER:30|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#ffe):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#fef):CENTER:SIZE(10):60|BGCOLOR(#eff):CENTER:SIZE(10):60|>|BGCOLOR(#fff):CENTER:SIZE(10):60|c |>|無印|2|3|12|72|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|836/&color(Red){1500};|92/&color(Red){321};|38/&color(Red){136};|340/&color(Red){340};|10/&color(Red){29};|1237/&color(Red){2220};|136/&color(Red){475};|57/&color(Red){205};|482/&color(Red){482};|13/&color(Red){37};| |>|改壱|3|4|12|98|@cell_ra(0,1)+@cell_ra(0,2)|853/&color(Red){1562};|93/&color(Red){339};|39/&color(Red){147};|340/&color(Red){340};|10/&color(Red){30};|1398/&color(Red){2561};|152/&color(Red){555};|65/&color(Red){246};|530/&color(Red){530};|14/&color(Red){42};| }} #style(class=submenuheader){{ -''ステータス一覧(クリックで展開)'' }} #style(class=submenu){{ #include(鹿児島城/ステータス,notitle) }} //-''[[城娘改築]]'' //#table_edit2(,table_mod=close){{ //||~レア|~&size(10){消費気};|~&size(10){巨大&br;化数};|>|>|>|>|~''初期配置''|>|>|>|>|~''巨大化''|h //|~|~|~|~|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|~耐久|~攻撃|~防御|~範囲|~回復|h //|BGCOLOR(#ddd):CENTER:50|>|>|CENTER:30|>|>|>|>|>|>|>|>|>|CENTER:SIZE(10):60|c //|無印|2|12|3|794|87|36|320|10|1175|128|53|454|13| //|改壱|3|12|4|819/&color(Red){?};|90/&color(Red){?};|37/&color(Red){?};|320|10/&color(Red){?};|1343/&color(Red){?};|147/&color(Red){?};|60/&color(Red){?};|499|10/&color(Red){?};| //}} #br *ゲーム上の性能・評価 [#evaluation] 天下統一の[[大隅>合戦/1-4]]で入手可能な城娘。引継ぎ等を行っておらず、直前に築城等で鉄砲使いの城娘を入手していなければ、最初の鉄砲使いとなる。 #br それなりに広めの攻撃範囲内の城娘に攻撃バフを掛けられる点がポイント。 自身の攻撃アップの特技を持つ城娘は数が多いものの、範囲内の攻撃を割合上昇させる特技を持つのは、★3以下では他に[[上関城]]くらい。 (☆5には[[多賀城改壱>多賀城]]、[[岡豊城]]など使い手は居るが、いずれにせよ序盤は希少) 近接ユニットは回復のために巨大化を温存することもあり、特技に攻撃バフを持っていても発動しないことが多く範囲バフはかなり便利。 割合上昇同士は大きい数字に上書きされる仕様だが、[[鶴ヶ岡城]]や[[山科本願寺]]などの固定値上昇とは共存できるので、組み合わせると回復力を高めやすい。 そのため、攻撃バフの少ない部隊の編制では彼女のバフは中々便利。自身も攻撃力が売りの鉄砲使いなので、序盤の鉄砲使いでは頼れるアタッカーになり得る。 #br 【改壱について】 巨大化回数が増え、特技が「攻撃強化【範囲】・弐」に強化。 特技発動までのコストが重くなるので、[[柳川城改壱>柳川城]]や[[鹿野城]]といった気生産トークン持ちを用意してから改築したほうが良い。 範囲内の城娘の攻撃を向上させる特技は、固有特技を含めても中々に希少なため、改築中レア(☆3~5)ながらも使い勝手に秀でる。 巨大化回数が4回に増えたことで、同じく巨大化4回・平山/水属性の鉄砲使いの[[松前城]]・[[雑賀城]]などと同等の広い攻撃範囲を得た。 単純にステータスも向上し、特技の有効範囲も申し分無しと、鉄砲使いの戦力としてもより頼もしくなっている。 -性能の変遷 --2018年01月16日:メンテナンスにてステータスの上方修正 ---特技:[無印]10→15%、[改壱]15→17% *キャラクターボイス [#voice] CV担当:[[森谷里美>https://twitter.com/Moriya_3103]] #region(←クリックすると台詞一覧が表示されます。) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=open){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |入手|入手|ご機嫌いかがですか~?&br;わたくしは鹿児島城と申しますの。殿どんの風水は&br;お加減良さそうね?今後ともよろしくですの~。| |所領|所領1|なんで天守がないのか不思議ですって?大丈夫、&br;天守にも匹敵するガトリングフランキ砲があるのです~!| |~|所領2|旅行に行くなら、日向国に行きたいですわね。何故って、飫肥城が&br;いらっしゃるじゃないですか。あの子、とっても可愛いんですのよ~| |~|所領3|あら~、殿どん!お外で一緒に蹴鞠で遊びませんこと?&br;夜には酒宴でもひらきませんか~!| |~|変身|気を体に取り込み、変身しますの。| |~|変身解除|只今戻りましたわ。| |出陣|出陣|私はお城、私は石垣、私は堀。殿どんは味方、兜は敵ですの!| |~|委任出撃|この任務にぴったりな方角を調べないと~。| |~|編成1|あら~、私の力が必要なのかしら~。| |~|編成2|殿どんの御下知とあらば、行くですの。| |合戦|つままれ|あら~、何かしら~?| |~|配置|薩摩式の戦い方、じっくりお見せしてあげますの。| |~|選択|お手伝いしてさしあげますの~。| |~|巨大化|撃ち方、よしですの。| |~|特技発動|攻撃すること、桜島の如し!| |~|計略発動|群鶏十一鶴!| |~|大破|火の手が上がってますの!怖いですの…。| |~|勝利|さ~さ~、皆で祝杯をあげましょう。| |その他|合成|ありがとうございます~。もう、燃やさないようにしますの~。| |~|放置|詰城の城山は、聖域として立ち入り禁止となっているのです。殿どんなら、入れてもいいですよ。| |~|おかえり|お帰りなさい♪ あら~、いつ戻られたのかしら?| |~|ありがとう|殿どん、感謝しますわ。| |~|???|鶴のように美しい戦い方をしてみせますの。| |図鑑内|城娘|&color(Gray){出陣と同じセリフ};| |~|御嬢|&color(Gray){放置と同じセリフ};| |~|特技|&color(Gray){特技発動と同じセリフ};| |~|大破|&color(Gray){大破と同じセリフ};| }} #region(←クリックすると贈り物イベント、台詞一覧が表示されます。&color(Red){ネタバレ注意};) #table_edit2(td_edit=off,tr_edit=edit,table_mod=close){{ |SIZE(12):BGCOLOR(#ddd):CENTER:60|SIZE(12):160|COLOR(#c09):SIZE(12):400|c |イベント1|夢見がちだな。|殿どんは現実的すぎますの~。| |~|BGCOLOR(#fbd):同感だな。|殿どんとは意見が合いますね~。| |イベント2|BGCOLOR(#fbd):さすが島津だな。|薩摩武士の意地を見せたのですわ。| |~|無謀な突撃をしたんだな。|そんなことはありませんわ!| |イベント3|西郷どんも弱かったんだな。|殿どん、なにをおっしゃいますの~!| |~|BGCOLOR(#fbd):ようやく平和が来たんだな。|はい、ですが、つらい戦いでした……。| }} #endregion #endregion *画像 [#image] イラストレーター:[[九十九>https://twitter.com/tukumo99/status/532157731205943296]]、[[九十九が改めて書いた鹿児島城>https://twitter.com/tukumo99/status/576762209579057152]] |&ref(鹿児島城/鹿児島城 入手.jpg,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){入手}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&ref(鹿児島城/鹿児島城 御嬢.png,50%);|&ref(鹿児島城/鹿児島城 城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&ref(鹿児島城/鹿児島城 半壊.png,50%);|&ref(鹿児島城/鹿児島城 技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion ***改壱 [#xb1f06fc] #region(COLOR(red){''←クリックすると御嬢、城娘画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) |&ref(鹿児島城/鹿児島城 御嬢.png,50%);|&attachref(./鹿児島城改壱 城娘.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){御嬢}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){城娘}};| #region(COLOR(red){''←クリックすると大破、特技画像が表示されます。見たくない人はクリックしないで下さい。''}) 大破、特技画像 |&attachref(./鹿児島城改壱 大破.png,50%);|&attachref(./鹿児島城改壱 特技.png,50%);| |CENTER:&size(25){COLOR(red){大破}};|CENTER:&size(25){COLOR(red){特技}};| #endregion #endregion *現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 鹿児島では一般的に古くから別名「[[鶴丸城]]」(つるまるじょう)と呼ばれている。 別名の由来は、屋形の形状が鶴が羽を広げたようであったことによる。城跡は鹿児島県史跡に指定されている。 石垣には西南戦争の際についたと言われる弾痕が残っている。 |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|鹿児島県鹿児島市城山町7-2| |現存状態|石垣、堀、石橋| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){最終的には誰も住んでくれなくなった?(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***最終的には誰も住んでくれなくなった? [#wce0405e] 鹿児島城は77万石の御城としては小規模な上、屋形造の御城で防御面に不安があり、島津義弘も当初から築城に適さない土地と反対していた。 城代の島津常久が病死すると、城山は聖域として立ち入り禁止区域になったが、慶長20年(1615年)の一国一城令でも例外として認められた外城制で、藩内に支城網を築いていたため問題はなかったとも言われる。 この外城制は島津家臣全てを鹿児島城下に住まわせることが不可能だったため採用された。 そして、明治7年(1874年)には焼失し、再建されることもなく島津本家も仙巌園に移り住むこととなった。 #br }} #style(class=submenuheader){{ &color(White,Maroon){島津の退き口(クリックで表示)}; }} #style(class=submenu){{ ***島津の退き口 [#s91f4bed] 絆イベントでも語られるように、島津と言えば関ヶ原の戦いにおける島津の退き口でも有名である。 #br その前に、関ヶ原の戦いに西軍として参加した島津軍が戦況を傍観していたという説についてだが、桐野作人『関ヶ原島津退き口―敵中突破三〇〇里』は、「もとより、二番備えが参戦するのは形勢次第であり、その時まで予備軍として待機しているのは当然である。また島津義弘は三成の家来ではないから、参戦の潮時は自身で決断するのもこれまた当然である」としている。 また、同書では「義弘は合戦中、ただ傍観するだけではなかった」とし、「義弘は開戦後、家来の長寿院盛淳と毛利覚右衛門を三成の陣所に遣わして見舞い、「戦場の行」すなわち作戦について打ち合わせのため、三成との間で「再往」しているのである」と説明している。『義弘譜』はこの最中に越前中納言(小早川秀秋)が変心したとしており、秀秋が東軍についたことで窮地に陥った島津軍は退却を迫られることになる。 #br 当初、島津軍は[[大垣城]]入城を考え東進したが、南宮山の麓あたりで大垣城の本丸に火の手があがるのを見て断念し、伊勢街道を目指したとされる。島津軍は敵(福島正則勢か)の横を通り過ぎると、徳川家康の本陣とぶつかりそうになったが、家康は佐和山方面へと西進し、なんとかやりすごした。その後は、長束正家や長宗我部盛親の陣所に家老の伊勢貞成を派遣して様子を探らせ、味方と判明すると無事通過できたという。このような退却ルートは、敵中突破とは言えるが、中央突破であるというのは後年に生まれた誤解である。 そもそも長く信じられてきた関ヶ原布陣図自体が見直されつつあるが、島津軍は[[松尾山城]]に程近かった、つまり通説よりも南に布陣していたとも言われるため、敵陣に突っ込んだというほどの無理な行軍ではなかったと考えられる。 #br なお盛淳、覚右衛門らは義弘の身代わりとなるため本陣に残り討ち死にしているが、新納忠増らは無事に帰国しており、本陣に残った者が全員討ち死にしたわけではない。こうした主君を逃がすために殿(しんがり)軍として後方支援を担当すること自体は金ヶ崎の退き口や三方ヶ原の戦いなどでもみられるが、『捨て奸(がまり)』や『座禅陣』と呼ばれる殿軍の全滅必至を前提とした戦法を用いたという説もある。 #br 旧城プロでは、こうした逸話があるためか、しんがり値というステータスが90と高めに設定されていた。 #br }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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