タージ・マハル のバックアップ差分(No.2)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、王妃ムムターズ・マハルのために建てた墓廟。 ムムターズ・マハルは1612年の結婚以来シャー・ジャハーンを支え続け、父帝ジャハーンギールに反乱を起こして敗れた後の逃避行にも付き従い苦楽を共にした。 シャー・ジャハーンは1628年にアーグラで皇帝に即位するが、その3年後にムムターズ・マハルが死去し、シャー・ジャハーンはその死を悼んで22年の歳月をかけて墓廟を建立した。 この墓廟がタージ・マハルで、その原型となったフマーユーン廟と同じく内部は仮の石棺の地下に本棺を置くというトルコ系遊牧民の特徴を示す様式で、外観は白大理石により美しく輝く姿となっている。 シャー・ジャハーンはヤムナー川の対岸にタージ・マハルと対をなす黒大理石の墓廟を自らのために建てようとしたが、晩年に子のアウラングゼーブによって[[アーグラ城]]も幽閉されたため実現せず、1666年にアーグラ城からタージ・マハルを眺めつつ亡くなったという。 タージ・マハルは1983年に世界遺産に登録され、2012年にはトリップアドバイザーにより「死ぬまでに行きたい、[[世界の名城25選>日本100名城#l57920dd]]」に4位で選ばれた。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ -''全体'' 南北560m、東西303mの敷地に建てられており、その内部を大きく前庭、庭園、基壇部分とで分割してあり、基壇部分の背後をヤムナー川が流れる。 敷地の外周、前庭と庭園との境界は赤砂岩製の城壁で囲まれており、前提と庭園との間に大楼門が据え付けられている。 また、城壁上の要所には東屋(チャトリー)が据え付けられている。 なお、ヤムナー川に面する部分のみ城壁が設けられていないので、実質墓廟本体は無防備となっている。 -''大楼門'' 大楼門は高さ約30mで、屋根の上には前後各11基、合計22基の丸屋根がつけられている。 (一説によれば造営にかかった年数を示しているとも。真偽不明。) 通路の出入り口を囲むアーチには、白大理石の地に黒大理石コーランが刻まれている。 このコーランは遠近法を用いて刻まれており、大楼門の入り口に立った時にすべての文字が同じ大きさに見えるようになされている。 -''庭園'' 庭園は正方形をしており、大理石製のプールを中心として、水路によって十字に区切られており、水路上には噴水が並んでいる。 -''基壇部と墓廟'' 基壇部には白大理石製の墓廟と、それを挟むようにして赤砂岩製のモスクと集会所が建てられている。 また、墓廟中央の丸屋根の建物を囲むようにして4つの尖塔が据え付けられている。 この4つの尖塔はすべて墓廟と反対の方向にわずかに傾けて建てられており、万が一地震などで崩れた場合にも墓廟にダメージを与えないつくりになっている。 墓廟の四方のアーチには大楼門と同様にコーランが刻まれ、建物の各所に半貴石でアラベスク文様の装飾がなされている。 屋上には丸屋根を囲むようにチャトリーが4つ設置されているが、屋上には登れないため飾りとしての意味合いが強い。 また、見栄えと重量対策のため丸屋根は二重殻ドームになっている。 二重殻ドームの上側は立ち入ることのできない巨大な空間で、下側の空間のみが仮の石棺の設置場所として使用されている。 この構造ゆえ墓廟の半分以上が実用上無駄な部分となっているが、この無駄によってインド・イスラーム文化を代表する優美な姿を作り上げている。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|インド、ウッタル・プラデーシュ州アーグラ県アーグラ| |現存状態|現存| |城郭構造|墓廟| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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