ロチェスター城 のバックアップ差分(No.1)
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) ロンドン南東近郊のロチェスター、メドウェイ川に面して建つ城。 ロチェスターはローマ時代からドーバーとロンドン(ロンディニウム)を結ぶワトリング街道とメドウェイ川の交差する位置にあり栄えた。かつては市壁に囲まれていて現在も一部が残る。 ロンドン南東部の防衛の要地として何度も攻防戦の舞台となり、その都度補修を受けて長く使われたため、各時代によって建築様式が違う。 しかし基本的な構造はノルマン時代から変わっておらず、ノルマン時代の城の姿を最も良い状態で残す見本ともいえる城である。 #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ ウィリアム征服王によって現在地より少し南に初代の城が築かれたが反乱に遭い放棄。 続いて1087年から1089年にかけてロチェスター司教ガンダルフの手によって二代目の城が石造で現在地に再建された。この場所は当時の市壁の北西角にあたる。 このガンダルフは聖職者だが建築の知識と才能があり、いくつもの聖堂や城の建設を指揮した。[[ロンドン塔]]の主城塔ホワイトタワーも彼の手によるものである。 1127年にカンタベリー大司教に下賜され、その指示により現在も残る矩形の主城塔(メインキープ)が10年以上をかけて新たに建てられた。 城に近接してロチェスター大聖堂が建てられたのもこの頃で、城と大聖堂はロチェスターのシンボルとして現代まで残っている。 #br 1215年、第一次バロン戦争ではジョン王に反する貴族が城に立て籠もったがジョン王直々の討伐を受けて主城塔までも一部崩されて落城。翌年から城は再建・改修される。 キープに接して新しく礼拝堂棟が築かれ、キープの南側隅の小塔は四角形から円形に、また城地の南角の防御塔も同じく四角形から円形に建て直された。これは攻城兵器(投石器や破城槌)による衝撃を逸らすためである。 1264年には第二次バロン戦争で再び攻防戦の舞台となり、改修が奏功したか、少数の守備隊が攻城兵器を擁するレスター伯シモン・ド・モンフォールとグロスター伯ギルバート・ド・クレアの軍を相手にして救援軍の到着まで城を守りぬいた。 しかしこのときのダメージはあまりにも大きく、戦後は修復の手が回らずに一部の石材が盗難に遭っている。1281年には城代に対して攻城戦のあと廃墟になっていた一部の解体許可が下りてもいた。 #br その後も修復案が出ては流れを繰り返し、エドワード3世の時代の1367年になってようやく大規模な修繕が行われた。 このときの改修によって主城塔の北東側に城壁塔が二つ追加された。これは現在も残っている。 さらに10年ほど後にも再び改修が行われて塔が増やされたが、その工事中の1381年、ワット・タイラーの乱で反乱軍により落城。これがロチェスター城の最後の実戦となる。 #br その後もいちおう最低限の維持管理はされていたものの実態は補修と放置の繰り返しで、城よりもむしろ王族の隠居所や牢獄として使われる。 1600年前後には石材の一部がアップナー城塞(ロチェスターに隣接するチャタム海軍工廠を防御するために、メドウェイ川の少し下流に作られた砲台砦)に転用された。 イングランドの他の城が軒並み酷い目に遭った17世紀の内戦期には王家の手を離れてウェルドン卿に下賜されており、彼が議会派についたため攻撃・破却されることなくその後も姿を保ち続けられた(ただし一部の城壁と塔を資材として売却している)。 18世紀にはジャージー伯が購入。チャタム工廠の警備隊基地にも使われたが城本体に大幅に手を加えることはなかった。 これが功を奏し、19世紀以降は歴史的建造物としてまた市民の憩いの場として利用される。 1870年にはジャージー伯からロチェスター市議会に貸し出されて市民公園となり、1884年には正式に買い取られた。買い取り額は6572ポンドだったと記録されている。 第一次大戦の後にはドイツから鹵獲した野戦砲や戦車が展示されたという。 1965年に国の管理下に入り、さらに1984年にはイングリッシュ・ヘリテージに管理が移され、現在も一般に公開されている。 }}} #br |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|イングランド、ケント州ロチェスター| |現存状態|城壁、城塔| |城郭構造|平城| #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){城郭構造(クリックで表示)}; }}} #style(class=submenu){{{ **城郭構造 主城塔を重心に据えて城壁と堀で周囲を囲んだ典型的な矩形キープ・ノルマン様式の城郭構造で、前述のとおりこの種の城の見本的・代表的な存在であると言ってよい。 高さ約35メートルを誇るメインキープ(主城塔)はイングランドに現存する中で最も高いもの。 四隅に小塔を持つ四角形の主城塔は6層構造になっていて、内ひとつは2階層をぶち抜いた大広間なので実質7階建て。ただし木材で出来た床と屋根は現存せず巨大な吹き抜けになっている。 東側に大手門(かつて城門塔があったが現存しない)があり、北側におそらくかつては川に直接出られる構造になっていた裏門を持つ。キープは城地の南側に寄って建つ。 城内は主郭と外郭に分けられていたが、17世紀にその間の城壁が取り払われてしまったため、見た目上は郭はひとつしかないように見える。また北東部分の城壁も現存しない。 }}} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) |
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