ミドルハム城 のバックアップ差分(No.1)

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*現実の城情報 [#information]

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イングランド北中部・ノースヨークシャーのミドルハム(ミドラム)の城。一時は『北の[[ウィンザー>ウィンザー城]]』と呼ばれたほど重要な城だった。
またここはヨークシャー・デイルズと呼ばれる丘陵地帯を抜け、東海岸側と西海岸側を連絡する街道を掌握できる要地でもあった。
12世紀後半に建てられた南北32m東西24mの矩形キープはイングランドでも最大級のキープのひとつ。ただし高さはそれほどなかった。
[[アニック城]]のパーシー家と並ぶ北部イングランドの有力貴族・ネヴィル家の居城として13世紀から15世紀まで用いられる。
特に薔薇戦争では直接的な戦場にこそならなかったものの大きな役割を演じた。リチャード3世の即位前の居城でもあり、今も地元の人間は「リチャードの城」と呼ぶという。

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初代の城はノルマン・コンクエストののち11世紀後半、ウィリアム征服王のはとこにあたるアラン・ルーファスが建造したモットアンドベイリー式だった。この跡地は現在も見ることができる。
およそ100年後の12世紀後半、より北東の現在地にノルマン式の石造矩形キープを持った城が造られる。これが現在のミドルハム城である。
1260年に城は婚姻関係のもとでネヴィル家の手に渡る。14世紀初めにキープの周りを囲む城壁と空堀が新しく作られ、集中様式になる。
これはアイアンリングなどからの影響があったと考えられる。これによりコンパクトながら効果的な防御体制が完成した。
1397年にラルフ・ネヴィルがウェストモーランド伯爵に叙されると、城は伯爵家の居城に相応しいよう更に改修が加えられた。
城壁が建物の1階分ほど高く増築され、それに沿って城館が作られたほか、城門がもとあった東側から北東角に築かれた城門塔に移された。
その後もラルフの息子ソールズベリー伯リチャードによって城の強化が続けられた。

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ミドルハム城の城主の中で最も有名なのは、ソールズベリー伯の息子『キングメイカー』ウォリック伯リチャードとその娘婿の国王リチャード3世である。
ソールズベリー伯とウォリック伯のリチャード親子はヨーク公((ちなみにこのヨーク公もリチャード。ややこしい))に仕え、薔薇戦争の初期にはその中核としてランカスター派と争った。
1460年ウェイクフィールドの戦いでヨーク公とソールズベリー伯が戦死すると、ウォリック伯はヨーク公の幼い息子達をミドルハム城に匿う。
やがてウォリック伯はヨーク公の長男エドワード((彼はすでに従軍していたためミドルハム城では暮らしていない))を推戴して王に即位させることに成功するが、のちに対立・決裂する。([[ウォリック城]]の項参照)
ウォリック伯は一時はエドワード4世を捕虜としてミドルハム城に幽閉するが、王弟グロスター公リチャードに奪還される。
一度フランスに逃亡したウォリック伯はランカスター派と結んでヘンリー6世を復位させるが、最終的に1471年バーネットの戦いで敗死する。

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ミドルハム城を初めとするネヴィル家の領地は、ウォリック伯の死後にその長女アン・ネヴィルと結婚した王弟リチャード―ヨーク公の息子であり、かつてはミドルハム城で保護されていて、バーネットの戦いでウォリック伯を破った一人でもある―のものとなった。
グロスター公リチャードとアンはミドルハム城で暮らし、1474年には一子エドワードを得る。
また北部国境地帯の統治はネヴィル家の元々の権利を拡大する形でグロスター公に一任され、ミドルハムはその中心地となった。
1483年リチャードがイングランド王に即位(リチャード3世)し、アンは王妃に、エドワードは王太子に、ミドルハム城は王の城となった。
しかし翌年にエドワードが城内で病死、1485年3月にアンもロンドンで病死。そして8月にはリチャード3世がボズワースの戦いで戦死する。
リチャード一家の死後も王室の持ち城として管理されていたが16世紀中盤以降はほとんど放棄され、17世紀初頭に売却された。
イングランド内戦の時代には王党派の領主が立て籠もったが、特に大勢に影響するほどの人数・立地でもなく戦闘は起こらず、捕虜収容所として使われた。
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現在のミドルハム城は、とくにその主郭部分は、崩れかけてはいるが元の形を残している。
しかし城の主郭の東側にあった堀・城壁・塔で防御されていた外郭は全く残っていない。

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|所在地|イングランド、ノースヨークシャー、ウェンズリーデール、ミドルハム|
|現存状態|城壁、主城塔、城門、堀など|
|城郭構造|集中式城郭|
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