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鹿背山城
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現実の城情報 Edit

南都六宗の一つ法相宗の大本山であり南都七大寺の一つでもある興福寺が、大和と山城の境を守るために築いた城。
戦国時代には信貴山城多聞山城の城主となった松永久秀によって改修され、久秀による大和支配の一翼を担った。
鹿背山は南には大和北部に通じる奈良坂があり、北には奈良街道が通って木津川を渡り京へと通じ、さらに木津川を挟んだ対岸には伊勢街道が横断して伊賀・近江に通じ、そして木津川西岸を北上する歌姫街道が京・河内へと通じる交通の要衝に位置した。
鹿背山城はこの鹿背山の全山を城郭化した山城であり、山城国内でも最大規模を誇る城郭だった。


所在地京都府木津川市鹿背山
現存状態堀、土塁など
城郭構造山城

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