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鹿島城
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現実の城情報 Edit

治承年間(1177~1181年)に、常陸大掾氏の一族である鹿島政幹によって築かれたとされ、鹿島氏代々の居城となった。
鹿島氏は源頼朝から鹿島神宮の惣大行事に任じられて以降同職を世襲した家柄で、鹿島神宮の一部は鹿島城の縄張に囲い込まれていた。
大永3年(1523年)に鹿島義幹が大改修を行ったが、改修工事の強行が家臣の反発を招き、内紛を引き起こしたと『鹿島治乱記』は伝える。
以後の度重なる内紛で鹿島氏は弱体化し、天正19年(1591年)に佐竹氏による南方三十三館仕置で一時滅亡する。
その後徳川家康の許しを得て鹿島氏は再興し、鹿島惣大行事家として鹿島神宮三要職の一つとなり、明治維新に至った。

所在地茨城県鹿嶋市城山
現存状態土塁、堀など
城郭構造連郭式平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 鹿島城、実装されないかな -- 2016-12-18 (日) 23:51:53
  • どちらかというと鹿島神宮に引っ張られそう、そばに香取神宮(フツヌシ祭る)と東国三社(アメノトリフネ)があるから鈴か歌舞かねぇ。刀で鹿島神道流もありやが -- 2019-05-16 (木) 21:39:01
  • 鹿島と聞くとコンビナートを思い出す社会の授業でいねむりしてたあの頃 -- 2019-05-17 (金) 00:24:03
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