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高瀬城
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現実の城情報 Edit

高瀬城は斐伊川が宍道湖へ注ぎ込む一帯の南に広がる山塊のうち、標高314メートルの高瀬山に築かれた尼子十旗の一つとして知られる山城である。
山頂付近の大高瀬とそこから一段下がった小高瀬、さらに麓への尾根筋にある鉄砲立と山域を生かした大規模な連郭式山城になっている。
高瀬城は山がちな出雲国において数少ない平野部である出雲平野を見下ろす位置にあることから、出雲国西部ににらみをきかせる役目があったものと考えられる。
古くは南北朝の争いが本格化する暦応年間に建部伊賀が築城したという説もあるが判然とせず、記録としては天文元年(1532年)に米原綱広が高瀬城主であったというのが最初である。
米原氏は近江源氏佐々木六角定頼の甥治綱が米原を領し、これを姓としたことに始まり、15世紀末~16世紀初頭にかけて近江国から出雲国に移り尼子氏に仕えたとされている。


所在地島根県出雲市神庭
現存状態郭、土塁、堀切
城郭構造山城

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