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阿津賀志山防塁
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現実の城情報 Edit

奥州藤原氏と源頼朝との奥州合戦での最大の激戦地で、元寇防塁と並んで特筆される中世における線状の防御線。
福島盆地を一望する標高289メートルの阿津賀志山の中腹から平野部にかけて築かれ、平泉を拠点とする奥州藤原氏の南の境界に位置していたとされる。これを裏付けるように、平泉では12世紀後半にろくろを使用せず製作される手捏ねの土器が多用されるが、阿津賀志山防塁以南の地域では手捏ねの土器は確認されていない。
阿津賀志山防塁の姿は『吾妻鏡』では「口五丈」の幅があり、阿津賀志山の中腹から始まり、阿武隈川の水を堰き入れたと記されている。
昭和46年(1971年)に行われた発掘調査では二重の堀と三重の土塁が発見され、その幅は24~25メートル、堀底から土塁頂部までの高さは約4メートルにもなるものだった。昭和53年(1978年)の調査では、この遺構が『吾妻鏡』に記された「口五丈の堀」であることが明らかとなった。


所在地福島県国見町石母田・大木戸・森山・西大枝
現存状態土塁、堀など
城郭構造防塁

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • これが柳之御所をマモレナカッタという… -- 2017-10-12 (木) 16:16:15
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