Top > 鍋倉城

鍋倉城
HTML ConvertTime 0.071 sec.

現実の城情報 Edit

鎌倉時代初期から遠野を支配した阿曽沼氏の、戦国時代後期の本城。阿曽沼氏は藤原秀郷の末裔とされ、源頼朝の奥州合戦に従軍し遠野保を与えられた。
当初は家臣の宇夫方氏を代官として派遣して統治していたが、後に阿曽沼氏は下野の本領から遠野に移転し、横田城を築いて本拠とした。
阿曽沼氏は天正年間(1573~1592年)の初期に、横田城から現在の鍋倉城がある鍋倉山に移転し、旧横田城と同じく横田城と名付けた。旧横田城が単郭の台地居館であるのに対し、鍋倉山の横田城は多郭構造の城であり、両城の構造を比較すると移転の時期は天正年間よりも早かったともされる。
旧横田城から移転した理由は麓の猿ヶ石川は増水し登城する家臣が難渋したためと伝わるが、阿曽沼氏の勢力基盤の整備や防御力の強化のため、家臣団の集住と再編を押し進めるためとも考えられている。
この頃の阿曽沼氏は高水寺城を本拠とする斯波氏と同盟を結び、一族の綾織広信が雫石城に迎えられており、二子城を本拠とする和賀氏の一族を含め斯波氏を中心とした連合体制が形成されていたという。


所在地岩手県遠野市遠野
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/鍋倉城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS