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遠江小山城
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現実の城情報 Edit

遠江小山城は、戦国時代末期の平山城である。遠州侵出を企てた武田信玄は、その重要拠点である今川氏の山崎の砦を攻略し、元亀2年(1571)砦を修築して小山城と命名し、元越後上杉氏家臣の大熊備前守朝秀を城主とした。徳川軍は、これを攻め取ろうとして十余年にわたり激しい戦いが繰り返されたが天正10年(1582)2月敗北を悟った武田方は自ら城に火をかけ、甲州へ落ちていきました。 現在、三日月堀・三重堀・勘助井戸などの遺構や犬山城天守閣を模した「展望台小山城」内の武田氏ゆかりの品々が、当時の面影を偲ばせています。
上記の歴史から小山城には悲しい伝説があります。三重堀にある勘介井戸には、赤い口の蛭がいます。敗北を悟った武田軍は城に火をつけ本陣の甲府へ逃げ帰ろうとしました。その際、当時の大井川の激流を渡るには女子供は足手まといになるだろうと愛する夫の無事・帰郷を祈りながら女たちは自ら井戸に身を投げ、その霊たちは口の赤い蛭へ姿をかえたという伝説があります。
 『小山城跡』説明板より引用

所在地静岡県榛原郡吉田町片岡
現存状態土塁、曲輪、堀、馬出し、井戸
城郭構造連郭式平山城

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