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赤田城
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現実の城情報 Edit

上杉謙信麾下の勇将、「越後の鍾馗」斎藤朝信の居城で、越後でも1,2位を争う巨大な大堀切を備える大規模な山城。
赤田の地には斎藤氏以前に赤田古城主の赤田氏がおり、これを滅ぼした斎藤氏が新たに赤田城を築いたとされるが詳細は不明であり、延文5年(1360年)に上杉憲顕が赤田城を攻めた際の記録が史料上での初見となる。
赤田城主の斎藤氏は室町時代に越後守護上杉氏の奉行職を務め、守護代長尾氏が台頭するとその奉行職に名を連ねた。
斎藤朝信もまた奉行職として上杉謙信に仕え、関東や越中、信濃など各地を転戦し武功を挙げた。この朝信の代に赤田城の城域は拡大され、城普請が完成したと考えられる。
謙信死後の御館の乱で朝信はいち早く景勝に味方し、赤田城は直江信綱の与板城とともに景勝方の重要拠点となった。
その後赤田城は慶長3年(1598年)に景勝が会津へ転封となった際に廃城となった。

所在地新潟県刈羽郡刈羽村赤田町方字四十刈
現存状態堀切、空堀、土塁など
城郭構造山城

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