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赤木城
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現実の城情報 Edit

築城の名手・藤堂高虎によって築かれ、奥熊野支配の拠点となった織豊系城郭。
天正13年(1585年)、豊臣秀吉による紀州征伐によて紀伊が平定され、秀吉の弟・秀長が紀伊を治めることとなった。
しかし在地勢力の抵抗は根強く紀伊の支配は難航し、翌年には奥熊野で北山一揆が発生した。
秀長は自ら出陣してこれを鎮圧し、藤堂高虎に命じて赤木城を築かせ、ここを拠点に奥熊野の支配を進めた。
そのなかで一揆勢の処罰も行われ、赤木城の西方に位置する田平子峠で斬首されたことから、「行ったら戻らぬ赤木の城へ、見捨てどころは田平子じゃ」と現地の村人が語り継ぐこととなる。


所在地三重県熊野市紀和町赤木
現存状態土塁、堀、石垣など
城郭構造平山城

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • 熊野は碁石の産地なので、現状ではマエカナしかいない城娘囲碁部の新入部員候補として期待がかかる -- 2020-05-30 (土) 23:15:27
  • コンパクトですが、名手高虎が若い時に築城した複雑な縄張りの石垣が修復されていてとても良いお城です。実装したらいいのになぁ。 -- 2021-11-20 (土) 01:54:03
  • ククク…狂気の沙汰ほど面白い…! -- 2021-11-20 (土) 20:37:35
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