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葛山城
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現実の城情報葛山城は葛山館の北、仙年寺の北背後に聳える標高270m程の山に築かれており、大手は東の尾根先にある。仙年寺には葛山氏代々の墓所が残っている。 主郭部は山頂にあり、東西両尾根を二重堀切で遮断している。山頂の主郭、それをコの字に囲むように二郭がある。主郭と二郭はともに北側に土塁を設けており、その下方の側面には短い連続竪堀がある。二郭は西に虎口があり、二郭の南下を横堀状になった通路が東尾根から続いており、大手道であったようである。 主郭部から東へ伸びた尾根は自然地形に近いが、東曲輪、大手曲輪とされる緩傾斜の地形があり、そこから南の仙年寺方面に伸びた尾根の先端に、北側を浅い堀切状の溝で遮断した曲輪がある。 主郭部から南の山腹に二条の大きな竪堀が伸びており、東側の竪堀は整備されていて見やすくなっている。 続きをクリックで表示 葛山城は、室町時代中期に葛山氏よって築かれた。 葛山氏は、藤原道隆の子伊周を祖とし、鎌倉時代には幕府御家人であった。 室町時代は駿東の在地領主として駿河守護今川氏に従い、戦国時代の葛山氏は氏堯-氏広-氏元と続いた。 今川義元戦死後の永禄12年、氏元は今川氏真から離反し武田信玄に臣従した。 その後、氏元は没落して葛山氏の名跡は信玄の六男信貞が継承した。 天正10年、武田勝頼が天目山で自刃して武田氏は滅亡するが、葛山信貞もまた甲斐善光寺にて自刃し、武田氏と共に葛山氏も滅亡した。
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