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石脇城
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現実の城情報 Edit

石脇城は、北の高草山から南へ枝分かれする尾根の先端の標高30mの「城山」に所在する。15世紀(室町中期頃)の駿河守護職で後の戦国大名今川氏の属城(支城)と推定され、周囲は南北約220m、東西130mと考えられる。
山裾の西から南へ流れる堀川を外堀とし、山頂の一の曲輪、中腹の二の曲輪、その二の曲輪を堀切で隔てた南端の外曲輪と、付属曲輪5~6か所からなると云われており、一の曲輪と考えられる山頂には土塁の痕跡が残っている。城主については記録がないが、江戸時代に編まれた地誌「駿河記」によると、文明年間(1469~1486)に今川義忠が伊勢新九郎盛時(後の北条早雲)を石脇に住まわせたとある。
また、伊勢新九郎にくみした伊豆の鈴木氏宛ての文書に「早雲寺殿様、駿州石脇御座候」とある。この文書が根拠となり伊勢新九郎がこの城に居たのは確実となった。
伊勢新九郎は、文明8年(1476)応仁の乱の影響で今川家の当主、今川義忠が遠江の塩買坂での戦死により、次代をめぐる家督争いが起きた際、嫡子龍王丸(後の今川氏親)を助けて活躍した。伊勢新九郎は、この功績により富士下方十二郷(静岡県富士市域)と興国寺城を与えられ、延徳3年(1491)以後伊豆平定にのりだし、やがて関東八ヶ国を治めた戦国大名北条家の基礎を築いた。
 『石脇城跡』説明板より引用

所在地静岡県焼津市石脇下
現存状態土塁、曲輪、竪堀、虎口
城郭構造平山城

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