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浅水城
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現実の城情報 Edit

甲斐源氏の流れをくむ南部氏の一族、三戸南部氏の庶流である南氏の居城。
三戸南部氏は室町・戦国時代に支配地強化のために一族を街道沿いの要衝を押さえる城館に配置し、それらが聖寿寺館(本三戸城)を中心に北・南・東に位置したことから、それぞれ北氏・南氏・東氏と称されるようになった。
南氏は三戸南部氏22代政康の三男・長義を祖とし、浅水城は長義が永正14年(1517年)に築いたという。
天正19年(1591年)の九戸政実の乱の際には南盛義が政実方の櫛引城主櫛引清長と戦い、浅水城への攻撃は撃退したものの追撃中に清長に討ち取られた。
その後の浅水城の詳細は不明だが、文献史料から江戸時代初頭までは存続したと考えられ、最後の城主は南彦七郎直慶とされる。


所在地青森県三戸郡五戸町浅水
現存状態堀、土塁など
城郭構造平山城

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