Top > 本證寺城

本證寺城
HTML ConvertTime 0.068 sec.

現実の城情報 Edit

鎌倉時代に慶円(きょうえん)上人によって創建されると、永禄6年~同7年にかけて起きた、徳川家康の人生における三大危機の一つとも言われる三河一向一揆では一揆衆の拠点となった城郭寺院。
戦国時代には本願寺蓮如自らの布教により上宮寺(じょうぐうじ)、勝鬘寺(しょうまんじ)とともに本願寺派に転向したが、この3つの寺を総称して三河三ヶ寺と呼ぶ。
『三河物語』によれば、三河一向一揆は本證寺に侵入した無法者を西尾城主・酒井正親が捕縛したことから、家康の父・松平広忠の代に与えられた守護使不入の特権が侵害されたとして起きたとされている。
いずれにせよ、蓮如の孫にあたる本證寺第十代・空誓(くうせい)が上宮寺、勝鬘寺とともに、門徒宗に檄を飛ばし、家康側の砦を攻撃した。
これに、家康側から寝返った本多正信、蜂屋貞次、夏目吉信をはじめ、吉良義昭、荒川義広や今川氏の残党なども加わって、一時は家康の本城である岡崎城にまで攻撃の手が及んだ。


所在地愛知県安城市野寺町野寺26
現存状態堀、土塁
城郭構造寺院

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/本證寺城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS