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対馬清水山城
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現実の城情報 Edit

対馬観光物産協会の発行する清水山城のパンフレットにはこう記されている。(一部略)


清水山城は、16世紀末の文禄慶長の役に際し、本営である肥前名護屋城と朝鮮半島の釜山を結ぶ輸送・連絡の中継地点として、秀吉の命により国境の島・対馬に築かれた城です。
海の玄関口である厳原港を見下ろす清水山の尾根に沿って、山頂に一の丸、中腹に二の丸、東の段丘に三の丸が配され、それらが東西約500mの竪石垣によってつながれています。
朝鮮出兵のために築かれた清水山城は、織豊系城郭や日本の武将が朝鮮半島に築いた倭城に共通する要素も見られ、朝鮮半島からの撤退後はすぐに廃城となったため、当時の遺構が改変されずに良好に残るなど歴史的価値が高く、国の史跡に指定されています。


朝鮮出兵により島の命綱であった交易は断絶し、島民は塗炭の苦しみをなめることとなりましたが、秀吉の没後、新たな天下人となった徳川家康の命を受けた対馬領主・宗義智は、日朝の関係修復に命がけで奔走し、外交使節団・朝鮮通信使の招聘に成功。やがて平和な江戸時代が到来します。清水山城は、戦国の世から太平の世に移り変わる、まさに時代の転換点に築かれた城なのです。


一の丸からは、厳原港や城下町、また気象条件に恵まれれば壱岐の島影を一望できます。清水山城をぜひその足で訪れ、国境の島・対馬の素晴らしい眺望と重厚な歴史をお楽しみください。

所在地長崎県対馬市厳原町西里
現存状態曲輪、石垣
城郭構造連郭式山城

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