Top > 守谷城

守谷城
HTML ConvertTime 0.065 sec.

現実の城情報 Edit

日本三大怨霊の平将門が建てた砦を拡大して城となった。

相馬中村城の陸奥相馬氏と同族で、相馬氏の宗家にあたる下総相馬氏の居城。
相馬氏は平将門の子孫にあたる信田師国の養子となった千葉常胤の次男・師常が、相馬郡相馬御厨を相続して相馬姓を名乗ったことに始まる。
守谷城は常総台地の一部、霞ヶ浦に連なる沼地に突き出た舌状台地上に築かれ、周囲を湿地帯や谷に囲まれた天然の要害だった。
将門が築いたという伝承があるが正確な築城年代は不明で、室町時代には下総相馬氏が居城としたとされる。
大永5年(1525年)の「足利高基書状写」に記される「相馬因幡守」は守谷城を居城とする相馬因幡守胤広とされ、また永禄4年(1561年)に上杉謙信が関東に出兵した際に記された「関東幕注文」では下総相馬氏は簗田氏とともに古河公方配下の古河衆に位置づけられている。


所在地茨城県守谷市本町
現存状態土塁、堀など
城郭構造平山城

コメント Edit

コメントはありません。 Comments/守谷城? 

お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS