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大嶽城
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現実の城情報 Edit

小谷城が築かれた小谷山を構成する山々の最高峰、大筑あるいは大筑ヶ獄と呼ばれる山の頂部に築かれた城。
『長享年後畿内兵乱記』には、大永5年(1525年)に「浅城大津見(具)発向」とあり、浅井亮政が大嶽(大津具)に築城したとされ、当初は浅井氏の本城として機能し、のちに南東尾根の小谷城へと移った。
元亀年間に浅井・朝倉氏と織田信長が小谷城を巡って争った際には朝倉勢が大嶽城に入り、南西に伸びる尾根上の福寿丸・山崎丸とともに改修を行った。
朝倉氏が改修した曲輪は高度な築城技術によって直角に成形され、土塁が少ない小谷城とは異なり屈曲した土塁で囲まれ、横堀も設けられた。
大嶽城は小谷城から100メートル以上高く、小谷城の防御の要だった清水谷の最奥部に位置するという重要拠点であり、浅井氏の井口経親・千田采女正、朝倉氏の斎藤刑部少輔・小林彦六左衛門尉、豊原寺の僧西方院が守っていた。


所在地滋賀県長浜市小谷丁野町
現存状態土塁、堀など
城郭構造山城

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