Top > 城塞都市テッサロニキ

城塞都市テッサロニキ
HTML ConvertTime 0.069 sec.

現実の城情報 Edit

東ローマ帝国(ビザンツ帝国)時代、帝都コンスタンティノープルに次ぐ文化の中心地として繁栄した、ギリシア第二の都市。
アレクサンドロス大王の死後、大王の異母妹テッサロニカを妻としたカッサンドロスによって紀元前316年頃、港町だったテルマを中心に付近の町村を合併した新港湾都市として建設され、妻の名をとって「テッサロニキ」と名付けられた。
カッサンドロス以降のマケドニア王国時代にも城壁は巡らされていたとされるが、テッサロニキが本格的に発展するようになったのはローマ帝国時代であり、マケドニア地方におけるキリスト教布教の拠点として使徒パウロもここで活動している。
146年にテッサロニキ一帯がマケドニア属州に含まれるとテッサロニキは属州の首都となり、293年にテトラルキア(四分統治)によってローマ帝国が分割されると、テッサロニキはガレリウスが支配する東方副帝領の中心都市となった。
統一ローマ帝国最後の皇帝テオドシウス時代には、港湾都市であるテッサロニキの海岸部から市の背後に回り、再び海岸部に戻るように全長約8キロメートルに及ぶ大規模な城壁が築かれた。テッサロニキに一部現存する城壁は、このテオドシウス時代のものが基盤となっている。


所在地ギリシャ、中央マケドニア地方テッサロニキ県テッサロニキ
現存状態城壁、城塔など
城郭構造城塞都市

コメント Edit

最新の10件を表示しています。 コメントページを参照 画像を非表示

  • カチコミ! -- 2018-09-13 (木) 06:48:28
  • 城娘なのだからきっと、テッサロネキ。 -- 2018-09-13 (木) 07:17:17
お名前:

  URL B I U SIZE Black Maroon Green Olive Navy Purple Teal Gray Silver Red Lime Yellow Blue Fuchsia Aqua White


ホーム リロード   新規 下位ページ作成 コピー 編集 添付 一覧 最終更新 差分 バックアップ 検索   凍結 名前変更     最終更新のRSS