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助川海防城
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現実の城情報 Edit

天保7年(1836年)5月、徳川斉昭が家老の山野辺義観を海防惣司に任命し助川に居住を命じたのが始まり。
義観が屋敷構えの陣屋を助川に築くことを幕府に許可されると、同年8月には太平洋を一望できる助川村太平の要害山に海防を目的として建設を開始した。
12月には義観が家臣ら247人を率いて未完成の助川海防城に入り、家臣らに居宅を与えた。また家臣とその子弟教育のため敷地内に養生館を建てたが、これは水戸藩の藩校である弘道館よりも4年早いものである。
助川海防城は5年後に完成し、本丸・二の丸・三の丸を持つ、陣屋レベルを超えた本格的な城郭として水戸藩の海防を担った。純粋に海防のために築かれた城は珍しく、斉昭の藩政改革への意気込みがうかがえる。
その後助川海防城は天狗党の乱に巻き込まれて落城した。

所在地茨城県日立市助川町
現存状態本丸表門の礎石
城郭構造海防城

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