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ババ・ヴィダ城
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現実の城情報 Edit

第一次および第二次ブルガリア帝国の中心都市であるヴィディンに築かれた城塞。
ブルガリアでは7世紀末から東ローマ帝国(ビザンツ帝国)内で勢力を確立していき、ブルガリア王シメオン1世は東ローマ帝国と戦って勝利し、913年にコンスタンティノープル総主教から「皇帝」として加冠され、さらに「ブルガリア人とローマ人の皇帝」を名乗った。
926年にはブルガリア大主教を総主教に格上げさせてブルガリア正教会をコンスタンティノープル総主教から独立させるなど第一次ブルガリア帝国の最盛期を築き、ヴィディンはその中心的な都市に位置づけられた。
ババ・ヴィダ城の建設もこの頃に始まり、古代ローマの城塞都市ボノニアの跡地に築かれたババ・ヴィダ城はブルガリア北西部を守る重要拠点となった。
しかしその頃東ローマ帝国では「ブルガロクトノス(ブルガリア人殺し)」の異名を持つことになる皇帝バシレイオス2世がブルガリア征服を押し進め、ババ・ヴィダ城は1003年に8ヶ月に及ぶ包囲の末に落城した。その後もバシレイオスはブルガリア征服を進め、1018年に第一次ブルガリア帝国は滅亡する。


所在地ブルガリア、ヴィディン州ヴィディン
現存状態復元
城郭構造

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