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> 葛山城
葛山城
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*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 葛山城は葛山館の北、仙年寺の北背後に聳える標高270m程の山に築かれており、大手は東の尾根先にある。仙年寺には葛山氏代々の墓所が残っている。 主郭部は山頂にあり、東西両尾根を二重堀切で遮断している。山頂の主郭、それをコの字に囲むように二郭がある。主郭と二郭はともに北側に土塁を設けており、その下方の側面には短い連続竪堀がある。二郭は西に虎口があり、二郭の南下を横堀状になった通路が東尾根から続いており、大手道であったようである。 主郭部から東へ伸びた尾根は自然地形に近いが、東曲輪、大手曲輪とされる緩傾斜の地形があり、そこから南の仙年寺方面に伸びた尾根の先端に、北側を浅い堀切状の溝で遮断した曲輪がある。 主郭部から南の山腹に二条の大きな竪堀が伸びており、東側の竪堀は整備されていて見やすくなっている。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 葛山城は、室町時代中期に葛山氏よって築かれた。 葛山氏は、藤原道隆の子伊周を祖とし、鎌倉時代には幕府御家人であった。 室町時代は駿東の在地領主として駿河守護今川氏に従い、戦国時代の葛山氏は氏堯-氏広-氏元と続いた。 今川義元戦死後の永禄12年、氏元は今川氏真から離反し武田信玄に臣従した。 その後、氏元は没落して葛山氏の名跡は信玄の六男信貞が継承した。 天正10年、武田勝頼が天目山で自刃して武田氏は滅亡するが、葛山信貞もまた甲斐善光寺にて自刃し、武田氏と共に葛山氏も滅亡した。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|静岡県裾野市葛山| |現存状態|曲輪、土塁、堀切、竪堀| |城郭構造|山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) //以下の2行は議論板設置の際の注意事項です。表示する必要はないのでコメントアウトしたままにしてください。 //議論板を設置する際は「&color(Red){議論板を設置しました};」とコメントしてください。また、議論板の各説明文は編集せずにそのまま使ってください。 //議論板以外のコメント欄を追加したい場合は乱立を防ぐため、編集会議室にてご提案の上、話し合ってからお願いします。 //議論板を設置する場合は以下の12行を使ってください。 //*議論板 [#gironcom] //-コメント欄で持ち上がった話題について落ち着いて議論したい時や、流れてしまったコメント木を再利用したい場合などに利用してください。 //-議論板での話題は[[編集のガイドライン]]の範囲内で自由です(キャラの性能、容姿や台詞、現実の城情報etc)。コメント欄で同じ話をするのも自由です。 //-ガイドライン編集の指針を今一度確認して下さい。''特にネタのつもり等、他人を不快にしかねない表現には細心の注意をお願いします''。 //-''議論板への過度の勧誘は、誹謗中傷や他人を不快にする行為となる可能性がある''ため、言葉遣い等マナーを考えて行ってください。 //-流れてしまったコメント木を移動させる際は、乱立防止のために「&color(Red){流れてしまった○○の木を議論板に移動しました};」と&color(Red){赤字};でコメントしてください。 //-''流れていない木や枝葉の一部を無断で切り取って議論板に移動させる行為はマナー違反です。''必要に応じて議論板内で新たな木を作ってください。 //#style(style=font-size:111.11%;){{ //#region(←議論板 %%%上記の内容をよく確認した上でご利用ください。%%%) //#pcomment(Comments/ページ名/議論,reply,10,) //#endregion //}}
*現実の城情報 [#information] //編集前に[[テンプレート/城娘]]の「現実の城情報」をご確認ください。(このコメントは必ず残してください。他のコメントは不要なら削除していいです) 葛山城は葛山館の北、仙年寺の北背後に聳える標高270m程の山に築かれており、大手は東の尾根先にある。仙年寺には葛山氏代々の墓所が残っている。 主郭部は山頂にあり、東西両尾根を二重堀切で遮断している。山頂の主郭、それをコの字に囲むように二郭がある。主郭と二郭はともに北側に土塁を設けており、その下方の側面には短い連続竪堀がある。二郭は西に虎口があり、二郭の南下を横堀状になった通路が東尾根から続いており、大手道であったようである。 主郭部から東へ伸びた尾根は自然地形に近いが、東曲輪、大手曲輪とされる緩傾斜の地形があり、そこから南の仙年寺方面に伸びた尾根の先端に、北側を浅い堀切状の溝で遮断した曲輪がある。 主郭部から南の山腹に二条の大きな竪堀が伸びており、東側の竪堀は整備されていて見やすくなっている。 #br #style(class=submenuheader){{{ &color(White,Maroon){続きをクリックで表示}; }}} #style(class=submenu){{{ 葛山城は、室町時代中期に葛山氏よって築かれた。 葛山氏は、藤原道隆の子伊周を祖とし、鎌倉時代には幕府御家人であった。 室町時代は駿東の在地領主として駿河守護今川氏に従い、戦国時代の葛山氏は氏堯-氏広-氏元と続いた。 今川義元戦死後の永禄12年、氏元は今川氏真から離反し武田信玄に臣従した。 その後、氏元は没落して葛山氏の名跡は信玄の六男信貞が継承した。 天正10年、武田勝頼が天目山で自刃して武田氏は滅亡するが、葛山信貞もまた甲斐善光寺にて自刃し、武田氏と共に葛山氏も滅亡した。 }}} |BGCOLOR(#ddd):80|300|c |所在地|静岡県裾野市葛山| |現存状態|曲輪、土塁、堀切、竪堀| |城郭構造|山城| *コメント [#comment] #pcomment(,reply,10,) //以下の2行は議論板設置の際の注意事項です。表示する必要はないのでコメントアウトしたままにしてください。 //議論板を設置する際は「&color(Red){議論板を設置しました};」とコメントしてください。また、議論板の各説明文は編集せずにそのまま使ってください。 //議論板以外のコメント欄を追加したい場合は乱立を防ぐため、編集会議室にてご提案の上、話し合ってからお願いします。 //議論板を設置する場合は以下の12行を使ってください。 //*議論板 [#gironcom] //-コメント欄で持ち上がった話題について落ち着いて議論したい時や、流れてしまったコメント木を再利用したい場合などに利用してください。 //-議論板での話題は[[編集のガイドライン]]の範囲内で自由です(キャラの性能、容姿や台詞、現実の城情報etc)。コメント欄で同じ話をするのも自由です。 //-ガイドライン編集の指針を今一度確認して下さい。''特にネタのつもり等、他人を不快にしかねない表現には細心の注意をお願いします''。 //-''議論板への過度の勧誘は、誹謗中傷や他人を不快にする行為となる可能性がある''ため、言葉遣い等マナーを考えて行ってください。 //-流れてしまったコメント木を移動させる際は、乱立防止のために「&color(Red){流れてしまった○○の木を議論板に移動しました};」と&color(Red){赤字};でコメントしてください。 //-''流れていない木や枝葉の一部を無断で切り取って議論板に移動させる行為はマナー違反です。''必要に応じて議論板内で新たな木を作ってください。 //#style(style=font-size:111.11%;){{ //#region(←議論板 %%%上記の内容をよく確認した上でご利用ください。%%%) //#pcomment(Comments/ページ名/議論,reply,10,) //#endregion //}}